第56回本庄→早稲田100キロハイク公式ブログ

第56回本庄→早稲田100キロハイクに関する情報を随時更新していきます(5月12.13日開催)

ひゃくはいたいけんき〜だいごかいめ〜

 

おはようございます!

 

今回体験記を書いてくれたのは、、、⁉︎

 

早稲田大学英字新聞会

若菜大聖

 

「100キロっていっても所詮は歩きだろ」
正直参加するまではこう思っていた。実際半数は女子が参加してるわけだし体は頑丈な方だったからさほど騒ぐほどでもないと思っていた。普通に歩いても面白くないよなぁ。そこで友だちを連れて木材屋に行き、木の板と丸太を購入。紐で繋ぎ合わせ姫を担ぐための籠を作った。後は下駄と麦わら帽子と和服を揃えれば江戸時代の参勤交代なるものができた。開会式の会場に向かう途中「それ乗せてください!」と言って記念撮影をお願いしてくる女子大生もおり、8000円かけた価値があったとひしひし感じていた。しかし、この時僕は大きな間違いを犯していた。この格好で100キロ歩くということを全く想定していなかったのだ。とりあえず一区は難なくクリア。だか疲労のペースがやはり思ったより速くなっていた。悪い予感は的中し一番の難所2区では最後尾まで転落してしまう。とりあえずこの重いの、籠を廃棄しないことには始まらない。担いでいる箇所が内出血を起こし少しずつ位置をずらしていくうちに使えるポジショニングがなくなってしまった。さらに下駄が二区の後半で故障しドンキホーテで買った880円のスニーカーに履き替える。これがまた下駄よりもタチが悪い。先端が窮屈な故、指が重なり合いわずか2時間で爪を4本紛失。爪が剥がれたらもう、なんか本当に萎える。「なんでこんな安っぽいの持ってきたんだ、880円て...」押し寄せる後悔の念。そしてアクシデントはまだ続く。二区の終わりの休憩所でここまで一緒に籠を担いできた盟友が腰の違和感を訴え離脱。本当に申し訳なさがこみ上げてきた。ここで100ハイのベテラン鬼頭氏(一浪)に入っていただきなんとか参勤交代スタイルは貫けることになった。三区からは途中ではぐれていたサークルの幹事長(二浪)と合流し、合わせて四浪。いけるかもしれない。
三区は正直意識が朦朧としており、道で小便した記憶しかない。疲れている時に出る小便は黄色い。これが激戦を物語っていた。
夜中の3時に到着しやっと休憩。しかし出発まで後2時間しかない。朝起きたら疲労が回復していることを願いつつ睡眠とも言えない睡眠をとった。起床。絶望の起床。「またあれを一日やるのか...ギャグだろ流石に」
四区の休憩所では体育会という狂気に満ちたイベントが開催されていた。予選がシャトルラン。戦う意味を見出せなかった。
二区の次に難所と言われる五区の途中、自動販売機で買った飲み物もゆうに20本は超えた。この二日間に限って気温が30度を超えており救急車が通っていくのを何回も見た。次々と倒れていく同志たち。こういう苦しい場面でこそ人の本性が出る。僕の目の前でも女性が倒れた。申し訳ないが屍は超えていく。それが僕という人間だ。
100キロハイクの巧妙なところはしっかりと女子の参加者がいるところだ。これ冷静に考えて他の大学ではありえない。炎天下で泣きながら歩く女。足にテーピングをぐるぐるに巻きつけて歩く女。ハイヒールで歩く女さえいた。そして必然的に男が絶対にリタイアできない境遇に追い込まれる。何という悪魔的システム。男がリタイアしようものなら孫の代まで笑い物だ。

ロキソニンも効き始め、はがれた4枚の爪の箇所の痛みが抑えられてきた。長かった二日間も残り一区で終止符が打たれる。人間不思議なもので終わりが見えると限界を超えた力を発揮する。僕たちは走り出した。別に今まで手を抜いていたわけではない。神から新たなキャパを授かるのだ。足が軽い、息切れもしない、汗も出ない(危ない)

高田馬場から早稲田への一本道。全く面識のない人同士で励まし合いゴールを目指す。素晴らしい大学に入ったなと。受験期、慶応のSFCに行きたいなど世迷い言を並べていた自分を恥ずかしく思った。ゴールで見上げた大隈講堂は受験期とは少し違って見えた。これからは帰ってくる場所。仲間と抱き合い、みんなで肩を組み紺碧の空を歌う。

やっぱり無駄が一番楽しい。孫の代まで自慢しよう。

 

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100ハイまで、あと○○日、、‼︎