第56回本庄→早稲田100キロハイク公式ブログ

第56回本庄→早稲田100キロハイクに関する情報を随時更新していきます(5月12.13日開催)

100ハイ体験記!!(第何回目かとかもう忘れた)

 

こんばんは!

 

先日100ハイTwitterアカウントで発表がありましたが、本年度の開催日は

 

5月12.13(土日)

 

で決定致しました‼︎‼︎

 

随時開催の詳細を流す予定なので、皆さん見逃しのないようよろしくお願いします!

 

さて、今回100ハイ体験記を書いてくれのは、、

 

ハズレ祭り みやじさいか

「100キロハイク」をはじめて知ったのは、朝井リョウ氏のエッセイであった。早稲田に行くことしか思い描いていなかった受験生の頃の私は、それまで、早稲田三大行事のうちの一つであるこの非常にユニークなイベントを知らなかったことを恥じた。

運動大嫌い、体力テストは萬年DかE、鈍足な上体力もない私は、まだ早稲田に入れるかも分からないというのに、当時100キロハイクに出るかどうかを考えて煩悶していた。

先に書いたように到底100キロ歩くのには向かない貧弱な私が、何故そこまで100キロハイクに執着したのか。
それは「仮装」である。
「縛り」という名の元自らに負荷をかけながら歩く者や、珍妙な格好に扮する者、かわいいコスプレをする女子など、様々だ。

朝井氏のエッセイには、屋台を背負ったまま100キロ歩いた猛者のことが書いてあった。

私も、屋台を背負う人と歩きたい!!
私もユニークな格好で公道を100キロも闊歩してみたい。(元演劇部。仮装・コスプレにテンションが上がるタイプ)

私を駆り立てるのは、その狂気じみた欲求であった。

だからこそ、1度は出たいと思ったし、出たからには完歩したいと思っていた。もちろん、体力に自信など無かったので、なかなか覚悟は決まらなかったが、100キロハイクに出ることなく自らの早稲田生活を終われないことを、自分でよく分かっていた。出なければ一生後悔すると思った。

そうはいっても、100キロハイクはサークル単位での出場がメジャーだ。固定のサークルに所属していなかった私にはそれがネックとなり、出る団体がないことにかこつけて3年になるまで100ハイの機会を逃してきた。

そんな私に、SNSで100ハイの誘いが来る。所属団体のない者同士(主に4年)が集まって有志で100ハイに出場するらしい。多少の迷いはあったがこんな話が来るのもご縁と思い、参加を決めた。どうやらメンバーは元某男子チアや、元某ミュージカルサークル、元某下駄サークルなどの、私の地味な学生生活とは無縁の華やかで体力のあるサークルの人々らしい。困った。ついていける自信が無い。

しかし、あれよあれよという間に顔合わせの日はやってきて、待機列でのシフトや、飲み会を経て、気づけば先輩たちの輪に入れてもらっていた。各団体から「外れ」た者達が集まって、「ハズレ祭り」。私の100キロハイクがスタートした。

普通に取り組んだらズタボロになるのが分かっているので、私は金に糸目はつけず、準備に全力を注ぐことにした。

まず、滅多に運動をしないので運動靴がない。ABCマートに行って「100キロ歩くので靴をください。」と言った。優しい店員さんが靴底の厚い靴を出してくれた。

薬局に行って「100キロ歩くのでいたみどめをください」と言った。薬剤師さんがロキソニンを出してくれた。アンメルツも買った。

プロに頼むのがいちばんだ。

さらに、amazonバンテリンの膝サポーター(ピンクで女の子らしさを演出)と足首サポーター(こちらは黒のみ)を購入した。
(これをスタート時から着用していたことが、体力のない私が怪我なく完歩できた勝因だと思う。)


当日、私が用意したコスプレは映画「夜は短し歩けよ乙女」の「黒髪の乙女」のワンピース。自分で作った。
このコスプレにした理由は、夜通し歩く100ハイとタイトルを掛けて、自らを鼓舞する為である。
そして、作品に登場する偽電気ブランを馬場のムーンウォークで飲むことを最終ゴールに据え、乙女は歩き出した。

以下各区のことを振り返ってみたが、おめでたい性格なもので楽しかったことしか覚えていない。なので各区で起こったことをご報告したいと思う。

1区
なかなかつかない。初参加で距離の基準を知らないので、あとどれくらいかわからないのが辛い。途中1区の終わりかと思いきや、フェイントのような休憩所がだった。がっかりした。と、言いつつも、友達と沢田研二を歌いながら無事1区を終える。

2区
山道がスタートする。長い。
100ハイ経験豊富な閣下(に扮した先輩)の指揮の元歩く。
途中日本海から歩いてきたというトチ狂った男達とも合流。もはや100キロくらい歩かなくてはという気になる。
「音楽は心のドーピング」という言葉の元、携帯用のスピーカーからはアツい音楽が流れ続け、それに合わせてみんなで歩いた。

日が暮れ始めた頃、懐中電灯の代わりにキンブレを取り出した私は、スキップしながら友人と松田聖子を歌いはじめる。ネジが外れたのだ。その後もどんどんとネジが吹っ飛び、2区の終わりに差し掛かる頃には「絶対に幸せになるぞ!いいか、お前ら絶対に幸せにしてやる」と大声でイキり散らしていた。一緒に鼓舞されるような人間はいいが、疲れてる人間にとっては心底腹が立っただろう許して欲しい。

3区

何故かこのナイトハイクは、日差しがないのが楽で、どんどん進めた。暗い山道は少人数では怖かっただろうが、大好きな先輩方と歩いていたので、楽しかった。誰しも山道の果まで歩き、入間が見えた時、「街だ!」という喜びがこみ上げる。入間は偉大である。

4区

朝ごはんを食べずに歩く。辛い。とこきゃんまでこんなにあるんだ。とこきゃんに着いたらパンが貰えるらしい。カレーパン。
話してると気が紛れるので、先輩相手にひたすら「カレーパンが大好物だが、カレーパンが好きだというと、コロコロコミックのマンガの主人公みたいなわんぱく感があって恥ずかしい」という話をしてしまった。優しい先輩は笑って聞いくれた。申し訳なかった。

5区
途中大きな橋を渡る。ここがまた絶景である。調子に乗って「パラダイス銀河」を歌いながら歩く。パラ銀の歌詞に出てくる「しゃかりきコロンブス」って何なんだろう。とか話してた。
そんな余裕は終わることのないサイクリングロードに差し掛かる頃には亡くなっていて、すっかりやつれていた。正直ここがしんどかった。途中自販機もなく飲み物が買えないのだ。(あっても売り切れ)
「黒髪の乙女」の姿のまま馬場に戻ると決意し、仮装のまま歩き続けてた私もここで太ももに擦れて痛かったパニエを捨てた。それだけでも多少は楽になった。
そんなサイクリングロードがあけてやっと一息つけると思ったら、長い長い、と噂に聞いてた新青梅街道が始まる。好きなミュージカルのサントラを流しながら、ひたすら歩いた。脳内で作品が上演し終わった頃にはだいぶ進んでいた。しかし、そこからがきつい。KANと大事MANブラザーズと槇原敬之に助けられ、みんなより遅れて休憩所についた頃には先頭集団がもう出発していた。私はそのまま出発した。

 

6区
知ってる地名なのに遠い。あとすこしのもどかしさが歯がゆい。5区の終わりに休憩を取らないことが祟り、足は重く、ほとんど進めなくなってしまった。困っているところに、休憩所で念入りに休憩をしてきて追い上げてきた、ハズレ祭りの先輩たちに拾って貰った。

もう潰れてしまいそうだったので、神様かと思った。ラストスパートはみんなで歩くしかない。それが1番力が出る方法だ。
知ってる道に出て、馬場歩きの道になり、校歌を歌いはじめる。そうだ、これがやりたかったんだ。サークルに入ってなくても、素敵な出会いに恵まれてこんなことが出来ている幸せを噛み締めた。早稲田に来てよかった、100ハイに出てよかった、心から思った。受験生の頃の私に、早稲田に受かって100ハイに出てるよ、と胸を張って言いたい。

ゴールしたときのことはよく覚えてない。

ただ、待ってた友達がたくさん、たくさん褒めてくれた。抱き合って、私がゴールしたことを心から喜んでくれた。そんな友人がいることが何より嬉しかった。

 

 

しかし、私の100ハイはここで終わらないのである。出迎えをしてくれた友人とそのまま馬場歩きをし、ラーメンを食べ(胃が少し受け付けなかったが)、ムーンウォークにて、しっかり偽電気ブランを飲んで、乙女の長い夜は幕を閉じたのである。

 

ダラダラと長いこと書いてしまったが何が言いたいかというと、体力の無い人でも、意外といけるよという話である。早稲田に入った精神力があればなんてことはない。「縛り」を課すプレイヤーがある中で申し訳ないが、体力に自信がないなら、靴やサポーターなどを十分に用意し、何よりくじけない心を持っていれば、大丈夫。(もちろん楽ではなかったけど)よっぽど出なくて後悔するほうが辛い。100ハイに出たいという気持ちがあるなら必ず完歩できると思う。それが早稲田生だ。だからこそ、目の前にあるチャンスは逃さず、今こそ100キロハイクに挑戦してほしいと思う。私は、心から、出て良かったと思う。

 

 

 

f:id:honjyouwaseda100kmwalking56th:20180321194319j:image

 

想いのこもった体験記、ありがとうございまました!

 

100ハイまで、あと51日‼️