第56回本庄→早稲田100キロハイク公式ブログ

第56回本庄→早稲田100キロハイクに関する情報を随時更新していきます(5月12.13日開催)

100ハイ体験記〜縛りプレイヤー特別編〜(後半)

 

 

こんばんは!!

 

さて、今回の体験記は縛りプレイヤー藤縄さん編の後半です!

 

それでは、どうぞ〜〜

 

4日目(100kmハイク1日目)
朝食に加え果物まで頂いた。本当に泊めて頂いただけでなくいろいろしてくださって、ありがとうございます。

そして100ハイ集合場所へ。3日前までと違いいろんな人がいるから、もはやそれだけで心強かった。みんな緊張していたり、不安に思っていたりしているのかなとか、そんな事を考えられる余裕が出来るぐらいまで精神は回復していた。

そして開会式。

そう、ここからは「サーキット縛り」が加わる。とりあえず開会式で発表された縛り内容は以下の通り。

【サーキット縛り】
・角を曲がるたびに腕立て、腹筋、スクワットを各55回ずつ
・休憩所で休憩出来ない
(常に走り続けなければいけない、但し食事時と就寝時に限りこの縛りは免除)
・ヘルメット装備
スクール水着(女性用)装備

カオス。何だこれは。衣装の縛りが他の縛りと比べて軽い代わりに、条件が引きこもり陰キャラには厳しすぎた。ただ、既に実家から本庄まで紆余曲折して歩いている俺にとって、足に負担がかかる縛りではなかったのが唯一の救いだったかもしれない。あれ?よく見るとスクワットがある??

開会式の時点で既に湿布を貼っている状態でのスタートだった。さすがに下半身がやばかったので、スパッツ着用の許可頂いた。当たり前だ、こんなの聞かされてもいなかったのだから。
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<1区>
ここからは、2日目に一緒に歩いてくれた学科の友人2人と合計3人で歩いた。最低限の負担で済むようにと、軽いながら俺の荷物も運んでくれた。正直それが無かったらクリアは不可能だろう。

そして、最初の角。

最初は気づかなかったが、この筋トレが別の意味で苦しくなる事に後々気づく。

腕に不安はほぼかかっていなかったので腕立てはまだクリア出来ていた。ただ、連続55回はさすがに無理があった。

スクワットは多分初回からやや誤魔化していたかも、深くはできる状態ではなかった。消費エネルギー多すぎる。どっかのサイトで「スクワットは1日50回が理想」って書かれていた。それを角を曲がるたびにやらないといけないのは本当にキツすぎた。

腹筋も、1区はまだ出来ていたと思う。この腹筋が、思い返してみると一番の問題児だった。

作戦としては角を曲がるたびに
「腕立て30回→腹筋30回→スクワット55回→腕立て25回→腹筋25回」
という順番でやっていたが、よくて1区で限界だった。普段筋トレしていない人は腕立て、腹筋30回でも拷問である。

周りの参加者から「うわ、本当にやってる」「頑張れ」と声を掛けてくれた人もいたが、中には近づかないでおこうと距離をあからさまに取ってくる人もいて泣きそうになった。確認のため最後に言っておくが、ヘルメット+女性用スクール水着という格好で路上で筋トレをしていたのである。完全な黒歴史である。

さすがに1区は参加者全員元気だったので、筋トレしているうちにみるみる参加者に抜かされていく。1区の途中時点ではほぼ最下位だったのでは?

ただ、想像の通り体にはガタが来ているので、少しでも楽をしたかった。しかしながら、道の角には立ちんぼが必ず立っているので、筋トレの回数を減らすことは不可能だった。

この縛りを軽くするポイントは休憩所である。

ここだけの話、休憩所で休憩する事が不可能なので、早めに着くことは寧ろデメリットである。だから、ほぼ最下位の場所を維持する事によって休憩所のデメリットを消化する作戦に出た。しかし、あまりにもペースを下げすぎるとそれはそれで体に負担がかかるので、一定のペースは出し続けた。

結果、普通に1区の休憩所に着いてしまった。

なんと、2区の開始まで30分はあるとのこと。嘘だろ!!おい!!

みんなが日陰に座っている中、休憩所をただグルグル周回しつつ走っていた。みんなが仮装大賞を楽しんでいる間、その後ろで一人でシャトルランをしていた。
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道中は、言ってしまえば歩くだけなのに、休憩所では歩くことすら禁止されていて泣いた。ただただ30分走っていた。

ここで走って足の感覚が訳分からなくなったのか、既に1区の時点でキャパオーバーの筋トレをしすぎたのが原因か不明だが、辛い事に変わりはないけど歩く事が一番簡単な作業になっていた。このマインドが4日目の後半に活きたと思っている。

<2区>
2区の開始がこの日の運命を決めた。
なんと、開始時点からすぐに曲がり角が4箇所ぐらいあったのだ。ここでほぼ最下位となる。地獄だった。
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そして、一番の地獄が腹筋だった。まず、日中の路面温度はそれはそれは熱い。そして、筋トレの中でも腹筋だけ、地面と接する面積が遥かに多いのだ。焼き土下座ならぬ焼き腹筋である。さらに、あの地面の凸凹感がまたエグい。背中は悲鳴をあげていた。

最初のコンビニで筋肉の回復とともに作戦を少し練った。ちなみに休憩所以外での休憩は縛られていないので、初めからコンビニを利用すればよかったと気づいたのはこの時。

結果的にうまくいったのがめちゃくちゃデカかった。2区の最初のコンビニから寝るまでは休憩をほぼしない作戦。ウィダーを買う以外の目的ではほぼ店に入らなかった。このノンストップ戦法が成功しなければ完歩は不可能だっただろう。

ここで1~3日目の「次の駅まで頑張ろう」作戦を応用し、2区以降は「自分の前で歩いている人を追い抜こう」作戦で行くことにした。最後尾なので、追い抜いても追い抜いてもその先に別の人がいる。1駅の感覚よりもとてもとても早くモチベーションの維持自体は容易だった。

100kmハイクで最長と言われている2区。ひたすら山道を歩く。序盤の角地獄を抜けるとほとんど曲がり角がなく、ただ変態の見た目で歩くだけだったので中盤は相当早い速度で進んだ。人を追い抜く度に「まじかよ?!」って目で見られる事だけが快感だった。

山道を抜けると久々の曲がり角に大きなコンビニがあり参加者がかなり多く休憩していた。最早バグった俺の体は冷静に筋トレをしてコンビニに入る事なくすぐに出発した。この時点で最後尾からかなり離れた所に居たと思う。だかまだ下位1/3ぐらいだったかな。

この辺からは道中で休憩している参加者を度々見かけるようになった。100ハイ経験者の俺は、順位、そしてペース的にここで休憩している人たちが殆ど睡眠を取れないまま次の日に挑まなければいけない事を既に分かっていた。だから「お前ら寝れないぞ!歩け」って叫び散らしながら俺らは進んでいた。1区では励まされていた俺も2区では励ます係になっていた。こんな俺でも、こんな過酷な条件下でも歩き続けているのだ。俺の後を追ってハイクを再開する参加者も何人かいた。だが、ドーパミンが暴走している俺のペースに追いつける人は殆ど居なかった。

そのまま2区の休憩所まで2~3回角を曲がって到着した。さすがに休憩所といえども走りながら弁当を食べる訳にはいかなかった。ただ感覚が狂っていた俺は休憩所で走りたかったので相当な速度で弁当を食べた。

しかし、タイミングが最強すぎて、食べ終わった瞬間に3区開始の合図が始まったのだ。これにより、2区開始時点ではほぼ最後尾だったのに、先頭集団と肩を並べてスタートする事が出来る。モチベーションは神がかっていた。

<3区>
言わずと知れたナイトハイク。ここで頑張ることによりこの日の睡眠時間が決まる。2区休憩所の滞在時間は10分と言ったところか。本当にノンストップだった。ここで休憩を取るより3区休憩所で寝たほうが遥かにいい、多少無茶してもここは1秒でも早くゴールに着く事だけを考えていた。

スタート。さすがに曲がり角のせいでトップ軍団と肩を並べる事は出来なかったが、その後ろの第2軍らへんの人たちと歩く事になった。トップ100らへんかな?

周りの参加者もビビっていた。相当早い所に縛りプレイヤーの俺がいるからだ。縛りプレイの企画倒れをさせる勢いだった。こんなもんは縛りのうちに入らないと。

しかも、3区は殆ど曲がり角が無いから本当に縛られている気がしなかった。ただ道中に唐突に曲がるポイントが2回ぐらいあった気がする。その時も周りの参加者に「すぐ追いつくから!」って叫んで、筋トレ×55回ずつして、10分後ぐらいには本当に追いついていた。時速6kmは軽く超えていた。「ただいま」と「おかえり」を言い合うだけで楽しかった。

100kmハイクの良い所は色んな人と話せる所かな。3日目に後輩と無言で2人で歩いていたのも楽しかったけど、どこ歩いていても近くに誰かしらいるのは本当に心強い。しかも縛りプレイヤーなので率先して話しかけてきてくれる人も多く、それだけで頑張れた。

筋トレ中はやはり、哀れな目で見てくる人が多かったが、思った以上にちゃんと俺がまだ筋トレを出来ていてびっくりされた。一応「帰りてえ」とか「辛すぎる」とか叫びながら筋トレしていたけど、なんやかんやまだ余裕で体が動いていた。恐ろしすぎる。今なら絶対出来ない。

2区では絶望に満ちていた人たちと歩いていたから励ます係になっていたが、3区では活気に溢れた人たちと歩いていたので、物凄く元気付けられた。

そのまま最後まで第2軍らへんで第3休憩所に到着。着いた時にはまだ50人ぐらいしか居なかった。縛りプレイでこの速度は前代未聞であろう。

スタッフの人から、既に縛りプレイで帰還出来る可能性があるのが俺ともう一人だけかもしれないと伝えられ、本当に最後まで頑張ってと言われた。

即睡眠、の前に一応湿布などを貼る事にした。なんと実家からの4日間を通して、ここまでまだ湿布以外の医薬類を一切頼っていないのだ。ドーパミン強すぎ。

しかし、2区の最初の曲がり角連発ゾーンから、3区の休憩所までほぼノンストップで歩いていた俺がいきなり長時間歩くのを止めた結果、最終日は絶望を迎える事になった。


5日目(100kmハイク2日目)
最終日。

100kmハイク名物の一つの起床時間。トラウマになった参加者も多いのでは?

まず、起きた時に感じたのは、筋肉が固まっていて動かなくなっていた。想像はしていたが、身体にかかっている負担は尋常なものではなかった。

次に、火傷をしていた。実は、医薬類を頼るのが嫌いな俺は、日焼け止めすら塗っていなかった。皮膚が変色をし始めていた。もう、日焼けではなく火傷の状態だった。

現に前回の100kmハイクでは、一切そういった物に頼らず手ぶらでゴールした経験もあり、今回も余裕だと思っていた。だが、今回は女性用スク水を着用している事により、日光を浴びる面積があまりにも多すぎた。肩が完全にやられていた。5区の途中までは学科の友人が付き添ってくれる約束だったから良かったけど、そこから先はリュックも一人で運ばなければいけなかった。もう既にリュックを背負っても激痛に襲われるレベルまで達していた。

4日目まで順調だったから最終日も順当にゴール出来ると考えていた。正直、寝る前は余裕でクリア出来ると考えていた。だが、起床しただけで泣きそうになっていた。

<4区>
100kmハイクにおいて、4区は楽、5区が最後の関門、6区は気合、という意見が多いと思う。だが、今の俺には4区がもはや絶望でしかなかった。

筋トレの速度も確実に落ちていた。曲がり角の滞在時間も5分は最低かかっていた。昨日までのドーパミンは何だったのだろう。

100kmハイク2日目にもなると、特別な衣装を着ていた人の数も減っていた。周りもゴールする事しか考えられなくなっている。さすがに歩く速度も上がり、俺なんかが当然追いつける状況ではなかった。再びほぼ最後尾を歩く事に。

結論からいうと、この日は下位1/4ぐらいの時間がほとんどだったが、3区でほぼ先頭を歩けただけで俺は一つの達成感はあったから、もう先頭の方へ行くことを考えるのは辞めていた。まず、休憩所に早く着くメリットがないからね。

正直、コンビニがある度に軽く休んでいた。比較的4区は元気に歩けるエリアなのに俺はもう顔が死んでいた。

4区で100kmハイク1日目と同じペースで歩けない人は脱落していく傾向がある。まさに俺のことだった。

4区自体は10kmもなく、今までやってきた事と比較したら絶対に楽なはずなのに、身体が思うように動かなくなっていくのを感じた。

何とか、所沢体育大会が始まったぐらいで4区休憩所に到着したのかな?多分俺も参加しないといけない空気だった思うけど、もう俺は死んでいた。やられていた。しかし、休憩所なので、休憩が出来ない。ただ、走ることも出来なかった俺は階段の上下すらキツかったため、外でひたすら無言で歩いていた。

このままでは完歩は到底不可能だった。そこで、ついに俺はロキソニンを飲む事を決意した。後は学科の友人が持ってきてくれた漢方。湿布系の奴貼ったり塗ったり。どうせ気休め程度で効果ないとバカにしていた。けど、無くはなかったかな?って感じだった。ほんの一時的な回復。それでもデカかった。後はドーパミンを頼るしかなかった。

そしてもう一つ。腹筋→背筋に変えてもらうように交渉をした。背中がもうボロボロで、背中がイカれた路面温度の地面に触れた瞬間に激痛が走っていた。地面との触れる面積が小さな腕立てとスクワットは継続した。腹部の方は焼けていなかったので何とかこっちなら出来ると提案して5区以降は背筋にチェンジしてもらった。

日焼け止めを塗ろうとしたが、もう手遅れの段階だった。ただ、それでもこのタイミングで塗っておけばよかったと思う。

さあ、応急処置は終わった。始めようか。

体育館の外を歩きながら、気合いを入れ直していた。だが、疲れ切っている表情は、既に誤魔化せない領域まできていた。
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<5区>
言わずとしれた悪魔。前半はサイクリングロード、後半は新青梅街道。ひたすら景色の変わらない直線。コンビニが殆ど無い。ただでさえ疲労困憊の中最悪のハイキングコースが待っている。

俺は3日目のハーフ高崎線ハイクで、景色の変わらない道を一日中歩いていたからその点に関しては耐性がついていた。それに加え、直線というのは言うまでも無く俺にとっては神条件であった。

ただ、襲いかかってくる日光。体力の激しい消耗。メンタル面も限界が来ていた。4日目までと最終日でここまで変わるのかというぐらいやられていた。最後までぶっ倒れなかったのが不思議だった。

この時はもう、俺が筋トレをしていても反応してくれる人が少なくなって来ていた。皆自分自身のことで精一杯だよな。俺も承認欲求とか無くなってきていて、無心で筋トレとハイキングを続けていた。

歩いているうちに、首が痛い事に気づく。そう、スク水を着用しているだけで無く、サーキット用のヘルメットをずっと着用している。帽子の代わりということで、熱中症対策として被っていたが、実は質量は1kgを超えている。その状態で1日以上歩いていたら首もイカれてくるわ。

首の骨が折れる前にヘルメットを外し、手で抱えて運ぶ事にした。もう、首が痛すぎて上を向くのが困難なレベルだった。首元が日焼けとはまた別の色に変色していた。そして、頭にも日光を浴びるようになったので、尚更熱中症に気をつける必要が出てきた。

そう、サーキット縛りは事実上の筋トレ縛りだけだと思っていたが、
スク水による、肩を含めた広範囲の日焼け
・ヘルメットによる、首元への異常な負担
という、衣装の縛りが実は最後の最後で効いてきた。俺含めて昂揚会の人たちも想定外だったのでは無いだろうか。特に5区以降は、筋トレよりもこの2つの要因によって最後まで苦しめられる事になった。

そんな時に、前半のサイクリングロードを突破し、コンビニに到着。ついに学科の友人と別れを告げ一人で歩く事に。本当に心細かったな。そして手元に俺のリュック。マジで背負おうとしたけど火傷のせいで不可能。何とかリュックとヘルメットを運びながら後半の新青梅街道に駒を進める。

しかし、リュックの件は意外と早く解決する。新青梅街道の数少ないコンビニのうちの1つに、俺が所属していたサークルのうちの1つが居て、リュックを預けて貰えたのだ。ただ、既に一人で歩き始めていたので心細さが尋常でなく、知っている人と話せたという事実だけでも俺の中で大きかった。

道中、中には熱中症で倒れていて救急車待ちの参加者も目にした。俺がまだ歩けているのは奇跡だと思い、とにかく水分だけは多めに取ることを心がけた。

しばらく一人で地獄の新青梅街道を歩いていたが、俺に話しかけてくれた4人組?がいた。その人たちも絶望に陥っていたが、それでも縛りプレイヤーの俺をみて頑張ろうという気持ちになってくれたみたい。俺自身も最後まで歩ける仲間が出来たのは非常に大きかった。最後の踏ん張りどころだった。

おそらく俺以外初の参加者っぽかったから、このままのペースだと閉会式に間に合わない可能性があることを伝え、最後のペースアップを図った。休憩は極力取らないようにさせた。どうせ角を曲がるたびに俺が筋トレして5分は拘束されるからだ。

ただ新青梅街道は曲がり角なんてある訳もなく、とにかく一定のペースを維持していくことに意味があった。筋トレもなく、ただ歩くだけだったので、再びドーパミン効果も出てきて俺自身は歩けるようになっていた。

ここで出会った、話しかけてくれた仲間がいなかったら俺はクリア出来なかったかもしれない。ついに最後の休憩所に到着した。ここでも奇跡が起きて、到着した瞬間に先頭集団が出発した。

俺らのグループは、満場一致で、休憩を取らず出発という選択肢を取った。学校の中に入ることすらもしなかった。

<6区>
先頭集団が勢いよく走り始めた。俺らは邪魔にならないように避けつつ、ペースを乱さずに歩き続けた。

さすが、6区の先頭集団。俺らも必死こいて歩いているのに後ろからどんどん追い抜かされる。追い抜かす事は気持ちいいが、追い抜かされる事はあまりいい感じがしない。ただ、だからといって周りに流されずあくまで俺らは俺らのペースを守ることに徹底した。非常に大事だが、これが出来るか出来ないかは重要である。

5区を抜けた後の6区は最早楽勝、という話を聞いたことがあるかもしれないが、決してそうではない。6区でも、10~15kmぐらいある。正常な状態でも普通に歩いたら2~3時間はかかるのだ。

休憩を挟みすぎなかったせいか、やはりペースは少しずつ遅くなってきた。コンビニで休憩したがる人も出てきた。ただ、ここまで来てみんなを置いていって俺だけ進む選択肢は存在しなかった。チームの様子を伺いつつ、歩ける時はペースを出し続けた。

6区は歩いているうちに知っている、馴染みのある地名が出てくるから、いよいよ目的地が近い事を実感し始める。

新青梅街道を抜けると少しずつ曲がり角が出てくるようになった。最後の踏ん張りどころである。というか、新青梅街道があまりにも長すぎて俺が筋トレすることも忘れていたレベルだった。

しかし、経験者の俺からみても想像以上にゴールに辿り着かない。全力で歩いているつもりだったけど、そこまで速度は出てなかったみたい。まあ、当たり前か。

励まし合いながら、意外と距離を感じさせる6区に対し、真剣に向き合った。

ついに、山手線が見える場所まで来た。
最後の曲がり角を終え、早稲田通りに到着。

最後の高田馬場駅~大隈講堂までの区間になると全員走り始める。どこからその体力が出てくるのだ。

俺の周りの人たちにも走っていいよって言ったけど、俺のペースで最後まで合わせてくれると言ってくれた。

俺はむしろ歩く速度が下がった。これで本当に終わるのだ。5日間の長旅だった。人生を振り替えた。自分の足でここまで来た。ここまで来れたのだ。もう終わるのだ。

早く終わらせたかったはずなのに、本当に終わる直前の場所まで来ると、寂しさを感じることもあった。

振り返りながら馬場口という交差点に辿り着いた時、後ろからキラ女縛りの子が歩いてきた。正直閉会式に間に合うのは俺だけだと思っていてビックリしたけど、笑顔であの椅子運んでいるのを見て、早く大隈講堂に着かないといけないって思った。学科の仲間も待っている。
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そしてついに早稲田大学の正門。

やり切った瞬間だった。知っている人も知らない人も暖かい声をかけてくれた。リタイアしなくてよかった。

大学に着いて真っ先に確認したかったのは、1~3日目に一緒に歩いていた友人の姿。無事元気に帰還していた。

閉会式に割とギリギリだったため、すぐに式の会場へ。あの大きなステージでの渾身の学注は忘れられない。ステージから学科の友人の姿も確認出来る。相当早い段階でゴールしたのだな。
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式が終わった後、ドーパミンが完全に消滅して、わせ弁を食べたくなったが、大学からわせ弁に辿り着くまでに1時間弱かかった。さらに、大学から家まで当時は約1kmらへんの場所に住んでいたが、この1kmですら歩ける状態ではなかった為、車で家まで送ってもらった。普通に生活が出来るようになるまで1週間はかかった。歩いていた期間より長いや。

普段、身体を鍛える事をしていない俺でも、多少無茶すればこれぐらいの事が出来ることが分かった。約1年弱前の記憶を辿ったが5日間の内容がここまで鮮明に思い出せた。100kmハイクというのは金では買えない価値だと思う(正確には5000円の参加費はかかるけど)。皆様は1年前の出来事でここまで鮮明に思い出せる日は何日あるか?こういった経験は今しか出来ないと俺は考えている。人生の経験のうち、2日間を100kmハイクに注ぎ込んでみないか?

100kmハイク未経験者は、折角参加できる機会があるならば、迷っていないで絶対に参加するべき。
100kmハイク経験者は、更なる磨きをかけて限界に挑戦するべき。


毎晩風呂に入り、鏡を見るたびに思い出す。
約1年経った今でも、スク水の日焼け跡が鮮明に俺の身体に刻み込まれている。


ここまで読んでくださった方、ありがとうございました。
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100ハイまで、あと40日‼️‼️