第56回本庄→早稲田100キロハイク公式ブログ

第56回本庄→早稲田100キロハイクに関する情報を随時更新していきます(5月12.13日開催)

100ハイ体験記‼︎‼︎(第??回目)

 

 

こんにちは〜〜

今回体験記を書いてくれたのは、、⁉︎⁉︎

 

 

早稲田大学広告研究会の松崎君です!

では、どうぞ!!

 

 

 

 

 

私のすべてをかけたとき

そう、あれは1年前の事だ。
私は走った。何も考えず無我夢中に走った。平行線の彼方まで続く無限の道を、自分を信じて。

【ハジマリ】
事の始まりは自らが所属している広告研究会(以下広研)というサークルに入会したことだ。105年という歴史あるサークルで、会員も300人と多く、特に広告に興味はなかったのだが、友達を作りがてら軽い気持ちで入ってみた。

広研は毎年5月から6月にかけて早稲田精神昂揚会が主催となり行われる本庄〜早稲田100キロハイクに出場している。

300人中から選ばれた精鋭メンバーが主体となり、1年生は約10人ほど選別される。そしてその10人の中から100ハイ中常に先頭で走り、広研を引っ張っらなくてはいけない宿命を背負わされる黄金のヘルメットを被ったwasヘル(wasは広研の略称)という者が一人任命される。

私は100ハイなどさらさら興味なく、
当時あまり広研に馴染めていなかった私に100ハイという文字は眼中になかった。

【ゴガツジョウジュン】
五月上旬、広研の100ハイ幹事の者が当然の如く1年生に対して参加を募っていたが、私は当然の如く応募することはなかった。自分にはまるで関係のないことのように振舞っていた。
しかし、突然それは覆される。
まだあまり友達が多くなかった私と仲良くしてくれていた1人の友人がいた。
そいつは運動神経が良いことから100ハイ参加者候補として高く期待されていたのだが、100ハイ当日の6日前に腰を壊してしまい参加を断念することになってしまった。
6日前に参加者が不在となるのは広研にとって異例の事態である。慌てふためく幹事たち、焦りを隠せない参加者たち。さすがの私も緊急事態ということは感じていた。ここで代理として名乗りをあげたらカッコ良いのではという淡い幻想に至ったが、当時の私にそんな勇気は毛頭無かった。

【ヨッカマエ】
100ハイまで4日と迫った夜、未だ代理は見つからず事態は収拾出来ていなかった。そんな時私は友人に呼び出された。
「俺の代わりに走ってほしい。」
彼の口から発せられたのはそれだけだった。プライドが高く、弱みを見せない彼が放った言葉に正直私は驚いた。
しかし、その言葉で、迷いが覚悟に変わった。
その直後、私は参加表明をした。

【ゼンジツ】
100ハイ前日
いつも通り広研の活動が行われた前日。活動が終わりいつも通りアフターにでも行こうとも思ったが、そうもいかないようだ。
wasヘルの任命式が行われるからだ。
毎年、前日には大隈講堂前に会員全員が集められ100ハイに参加するものを送り出す式が行われる。その中でも参加を表明した1年生11人は幹事に肩車をされ、会員の前で決意と覚悟を声を大にして語る。
だが、それを行う前に11人が前に出され先代wasヘルが今年のwasヘルを選ぶ。

他の10人と違って、私だけ自らの意思で参加表明出来ていなかったので、日頃から目立っているやつがどうせ選ばれるだろうと心の中で確信していた。

どこかのグルメ番組の結果発表の時のリズムに合わせて、先代がぐるぐると11人の後ろを徘徊する。ギャラリーの熱もピークに達しそろそろ選定の時がやってくる。誰が選ばれるか胸をふくらませた。そして、周りの声が止んだ。その瞬間、目の前が真っ暗になった。突然の出来事に理解が追いつかなかったが、眼球の前にある物を上に移動させるとそこには黄金のヘルメットがあった。
そう、wasヘルに選ばれてしまったのだ。
驚愕だった。ドッキリかと思ってしまうほど、自分を疑った。だが確かに私の頭にはズッシリと重量以上の歴史という重いものを纏ったヘルメットがあった。その後、多少の不安が残りつつも会員の前で熱く意気込みを語った。

【トウジツ】
今まで全然目立てていなかった自分は一夜にして大きく変わった。wasヘルというだけで色んな人に応援された。励まされた。その結果徐々に不安より高揚感が優っていった。

1500人が集まり開会式が行なわれ、
そして会員を背にスタートラインに立ち、スタートの合図で私の100ハイが始まった。

そこからはペースメイカーである昂揚会の人を永遠と追うだけ。地獄のような二日間が続いた。景色は田んぼから始まり、森、山、街道、商店街と徐々に都心に近づくにつれ、見慣れた景色になって行く。口ではこう簡単に言えるが、125キロの道のりはそんなに甘いものではない。

何度も倒れかけた。何度もやめたいと思った。何度も心折れそうになった。
でも、いくら肉体がイカレそうになっても、いくら精神が蝕まれても、一度も、出場した事を後悔することはなかった。

それは仲間がいてくれたからだ。
いつも背中を追ってた先輩方だが、この時ばかりは真横にいてくれ目一杯サポートしてくれた。まだ喋ったこともないが、同じ辛さを共に共有し、前に進み続けている同期たちもいた。早稲田の地で暖かいご飯を作り、私たちの帰りを待っている人たちもいた。

だから私は決して歩みを止めることはなかった。自分に負けたくなかった。たかが125キロに負けたくなかった。
いや負ける気がしなかった。いつしか300人全員の想いを背負い、そう思えるようになって行った。

【オワリ】
そして、この長い長い道のりもついに終わりの時が近づいてきた。まるで電車の如く西武線の線路沿いに精神を昂揚させた者たちがズラズラと並ぶ。やっと見慣れた景色なってきた。そう、馬場への到着だ。あの早大生で溢れかえり、でも暖かく迎え入れてくれる高田馬場への帰還は、思わず涙が溢れどこよりも精神が昂揚した。

そして馬場歩きの最中、道中の店からは多くの人が顔を出し、ボロボロに壊れた私たちの身体と精神に最後の力をくれる。学年、サークル関係なしに全員で紺碧の空を斉唱し、極限まで精神を昂揚させる。

松の湯を越え、夏目坂を下り、穴八幡宮が見え、やっと私たちの帰るべき場所、早稲田に着き心の底から安堵の気持ちが湧き出る。
しかし、感傷に浸っている暇はない。南門商店街に突入した途端、全力疾走が待っている。ここからはただ単純な足の速さで125キロ全ての覇者が決まる。みな、臨戦態勢になり、身体を激しくぶつけ合い、最後の闘いに臨む。身体が軋む、目の前が霞む、でも二日間という短いはずなのに、人生で一番辛く、一番己と向き合え、一番仲間に感謝したこの時を胸に私は走り出した。

いつも見ている景色なのに、こんなにも近くに早稲田大学は見えているのに、恐ろしく遠く感じた。だが、道沿いには応援に駆けつけた参加者たちの家族や友人の声援で溢れかえっていた。その熱量が私を加速させる。一歩、また一歩待っている人達の元へ近づく。

大隈講堂を横目に正門をくぐり、三号館の横最後の心臓破りの坂を越え、大隈銅像に向かってゆく。あと一歩で全てが終わる。

だが、
私はもうここからの記憶はない。

気がついた時には大隈銅像前で地面に突っ伏していた。

慌てて周りの者に順位を尋ねる。

結果は2位だった。

一位を目指していたので、悔しかった。
そして、申し訳なさが込み上げてきた。
でも無事に帰ってこれて嬉しかった。
みんなに会えて安心した。

色々な感情が入り混じり、その後私はずっと泣き続けた。その横には本来走るはずだった友人も共に。

【サイゴニ】
100ハイとは、不思議な力がある。
誰しも125キロを2日で走るなんて馬鹿らしく思えるだろう。普通の人はやろうとは思わない。だが、そんな馬鹿をやってしまう昂揚会、そして早稲田が私は大好きだ。馬鹿だと揶揄するやつはすればいい。それでも私はこの100ハイで人生が変わったし、色んな物を手に入れた。いくつになっても100ハイに出てよかったと胸を張って言える。この二日間はこれから先決して忘れないだろう。そしてもっとこの感情を共有したい。だからこそ本来100ハイに順位はないが、あえて言わしてもらおう。私は絶対に今年は一位を取ると。トップを狙ってる他のサークルよ。去年の雪辱絶対に晴らさせてもらう。私の想い全てを今年の参加者、そして後代のwasヘルに託す。今年も100ハイ楽しもーぜ。以上だ。

【追記】
私がゴール出来たのは本当に多くの人に支えられ、多くの人の温もりによるものだと思ってます。生意気に執筆してきましたが、私は心から100ハイを応援しています。かつて、私を支えてくれた広研の100ハイ幹事に今は私がなっています。これも全てwasヘルに選ばれてなかったら絶対にありえない未来でした。本当に感謝です。今年も全力で参加させて頂きます。そして全力で盛り上げていきたいと思っています。早稲田大学広告研究会を代表して、よろしくお願い致します。

 

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