第56回本庄→早稲田100キロハイク公式ブログ

第56回本庄→早稲田100キロハイクに関する情報を随時更新していきます(5月12.13日開催)

100ハイ体験記‼︎(第何回目とかはもう忘れた)

 

はい!今回体験記を書いてくれのは、、⁉︎

 

 

ガーディアン 橋本愛

初めての100キロハイク
橋本愛
私は一浪して早稲田に入りました。現役時も浪人中も沢山ある早稲田のイベントに参加するのを楽しみにしていました。その楽しみなイベントの中のひとつに100キロハイクもエントリーしてました。やから即決で100ハイの参加を決めました。この時、私は完全に100ハイをなめてました。まあ100キロ言うても友達と喋ったり、好きな音楽聞いて歩いてたらすぐ着くやろ〜♪みたいな気持ちでした。靴もスポーツ歴ゼロなので運動靴がなくて、ふらっと立ち寄ったサンキューマー〇に運動靴ぽいのが売ってたからこれでいいやって思ったり。実際に歩いてみると、もう人生の中で味わったことの無い身体的苦しさを体験しました。1区は楽しいウォーキングって感じでるんるんで歩いていました。悪夢は2区から始まります。6区間の中で2区が一番長いらしく、本当に歩いても歩いても休憩所に着きません。1区が短いことによる反動?みたいなので私は余計に長く感じました。しかも2区は昼から夜に時間が変わるんです。どんどん日が暮れていくのを見て、こんな長いこと歩いたんや…やのにまだゴールに着かへん…もう自分なにしてるんやろ?帰りたい休みたいって負の感情の連鎖が始まりました。2区の後半は辛すぎて大号泣しながら歩いていました。そんな時周りの初参加の1年生の友達が励ましてくれたり、先輩が優しく慰めて何度も、もうすぐ着くよって言ってくれたことは今でもほんまに感謝しています。この100キロハイクで私は私自身の早稲田愛、参加している方々の早稲田愛をすごく感じました。本人だって絶対しんどいのに、同じ早大生がリタイアしそうになった時に助けたり、道で運営の人が応援してくれていたり、休憩所でマッサージをしてくれたり、何を表現したいのか分からない仮装で歩いていたり、こんなにしんどくてぶっ飛んだこと、早稲田のことが好きでないと出来ないと思います。2区を越えた3区は山道ナイトハイクです。3区で1日目が終わり、睡眠時間があるのですが、早朝の5時ぐらいに起こされます。そこから2日目が始まります。2日目は4,5,6区なのですが、1日目の疲れが取れずもはや疲労MAX状態で、ほぼ気力だけで歩いていました。6区に入った頃ぐらいに、もしかしたら閉会式に間に合わないかもしれないという状況になりました。閉会式は本当に感動するからって先輩から言われていたし、ここまで必死で歩いてきたのだから私は何とかして閉会式に出たいと思いました。時間が本当にギリギリで閉会式諦めよかなって何回もメンタル折れかけながらそれでも歩いて、大隈講堂が見えて来て閉会式を待ってる行列を見た時は今度は嬉し涙が止まりませんでした。受験に合格した時みたいに今までの努力が報われた!!生きてて良かった!!って気持ちになりました。この後閉会式で歌った紺碧の空は大学生活4年間の中で、感動した紺碧の空BEST3に絶対入ります!!私がこんなにしんどくて辛い100キロハイクをなぜ乗り越えられたかと言うと早稲田が好きで、早稲田のイベントは全部制覇したい!っていう気持ちがあったからです。車も電車も発達してる世の中で100キロも歩くというこの無謀なイベントは早稲田に対する愛を証明する為のイベントだと思います。(一緒に歩いている友達も早稲田愛を証明する為に歩いてるって言ってました。)無謀でめちゃくちゃでぶっ飛んだイベントを企画して、極限の辛さの後に最高の嬉しさをくれる早稲田という場所も、それに全力で無茶苦茶な仮装をして参加する早大生も、全て含めて私は早稲田が大好きだということをこの100キロハイクは気づかせてくれました。

 

 

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可愛い〜〜〜〜〜‼︎ ‼︎😍😍😍

 

ありがとうございました!

 

100ハイまで、あと50日‼️

 

100ハイ体験記!!(第何回目かとかもう忘れた)

 

こんばんは!

 

先日100ハイTwitterアカウントで発表がありましたが、本年度の開催日は

 

5月12.13(土日)

 

で決定致しました‼︎‼︎

 

随時開催の詳細を流す予定なので、皆さん見逃しのないようよろしくお願いします!

 

さて、今回100ハイ体験記を書いてくれのは、、

 

ハズレ祭り みやじさいか

「100キロハイク」をはじめて知ったのは、朝井リョウ氏のエッセイであった。早稲田に行くことしか思い描いていなかった受験生の頃の私は、それまで、早稲田三大行事のうちの一つであるこの非常にユニークなイベントを知らなかったことを恥じた。

運動大嫌い、体力テストは萬年DかE、鈍足な上体力もない私は、まだ早稲田に入れるかも分からないというのに、当時100キロハイクに出るかどうかを考えて煩悶していた。

先に書いたように到底100キロ歩くのには向かない貧弱な私が、何故そこまで100キロハイクに執着したのか。
それは「仮装」である。
「縛り」という名の元自らに負荷をかけながら歩く者や、珍妙な格好に扮する者、かわいいコスプレをする女子など、様々だ。

朝井氏のエッセイには、屋台を背負ったまま100キロ歩いた猛者のことが書いてあった。

私も、屋台を背負う人と歩きたい!!
私もユニークな格好で公道を100キロも闊歩してみたい。(元演劇部。仮装・コスプレにテンションが上がるタイプ)

私を駆り立てるのは、その狂気じみた欲求であった。

だからこそ、1度は出たいと思ったし、出たからには完歩したいと思っていた。もちろん、体力に自信など無かったので、なかなか覚悟は決まらなかったが、100キロハイクに出ることなく自らの早稲田生活を終われないことを、自分でよく分かっていた。出なければ一生後悔すると思った。

そうはいっても、100キロハイクはサークル単位での出場がメジャーだ。固定のサークルに所属していなかった私にはそれがネックとなり、出る団体がないことにかこつけて3年になるまで100ハイの機会を逃してきた。

そんな私に、SNSで100ハイの誘いが来る。所属団体のない者同士(主に4年)が集まって有志で100ハイに出場するらしい。多少の迷いはあったがこんな話が来るのもご縁と思い、参加を決めた。どうやらメンバーは元某男子チアや、元某ミュージカルサークル、元某下駄サークルなどの、私の地味な学生生活とは無縁の華やかで体力のあるサークルの人々らしい。困った。ついていける自信が無い。

しかし、あれよあれよという間に顔合わせの日はやってきて、待機列でのシフトや、飲み会を経て、気づけば先輩たちの輪に入れてもらっていた。各団体から「外れ」た者達が集まって、「ハズレ祭り」。私の100キロハイクがスタートした。

普通に取り組んだらズタボロになるのが分かっているので、私は金に糸目はつけず、準備に全力を注ぐことにした。

まず、滅多に運動をしないので運動靴がない。ABCマートに行って「100キロ歩くので靴をください。」と言った。優しい店員さんが靴底の厚い靴を出してくれた。

薬局に行って「100キロ歩くのでいたみどめをください」と言った。薬剤師さんがロキソニンを出してくれた。アンメルツも買った。

プロに頼むのがいちばんだ。

さらに、amazonバンテリンの膝サポーター(ピンクで女の子らしさを演出)と足首サポーター(こちらは黒のみ)を購入した。
(これをスタート時から着用していたことが、体力のない私が怪我なく完歩できた勝因だと思う。)


当日、私が用意したコスプレは映画「夜は短し歩けよ乙女」の「黒髪の乙女」のワンピース。自分で作った。
このコスプレにした理由は、夜通し歩く100ハイとタイトルを掛けて、自らを鼓舞する為である。
そして、作品に登場する偽電気ブランを馬場のムーンウォークで飲むことを最終ゴールに据え、乙女は歩き出した。

以下各区のことを振り返ってみたが、おめでたい性格なもので楽しかったことしか覚えていない。なので各区で起こったことをご報告したいと思う。

1区
なかなかつかない。初参加で距離の基準を知らないので、あとどれくらいかわからないのが辛い。途中1区の終わりかと思いきや、フェイントのような休憩所がだった。がっかりした。と、言いつつも、友達と沢田研二を歌いながら無事1区を終える。

2区
山道がスタートする。長い。
100ハイ経験豊富な閣下(に扮した先輩)の指揮の元歩く。
途中日本海から歩いてきたというトチ狂った男達とも合流。もはや100キロくらい歩かなくてはという気になる。
「音楽は心のドーピング」という言葉の元、携帯用のスピーカーからはアツい音楽が流れ続け、それに合わせてみんなで歩いた。

日が暮れ始めた頃、懐中電灯の代わりにキンブレを取り出した私は、スキップしながら友人と松田聖子を歌いはじめる。ネジが外れたのだ。その後もどんどんとネジが吹っ飛び、2区の終わりに差し掛かる頃には「絶対に幸せになるぞ!いいか、お前ら絶対に幸せにしてやる」と大声でイキり散らしていた。一緒に鼓舞されるような人間はいいが、疲れてる人間にとっては心底腹が立っただろう許して欲しい。

3区

何故かこのナイトハイクは、日差しがないのが楽で、どんどん進めた。暗い山道は少人数では怖かっただろうが、大好きな先輩方と歩いていたので、楽しかった。誰しも山道の果まで歩き、入間が見えた時、「街だ!」という喜びがこみ上げる。入間は偉大である。

4区

朝ごはんを食べずに歩く。辛い。とこきゃんまでこんなにあるんだ。とこきゃんに着いたらパンが貰えるらしい。カレーパン。
話してると気が紛れるので、先輩相手にひたすら「カレーパンが大好物だが、カレーパンが好きだというと、コロコロコミックのマンガの主人公みたいなわんぱく感があって恥ずかしい」という話をしてしまった。優しい先輩は笑って聞いくれた。申し訳なかった。

5区
途中大きな橋を渡る。ここがまた絶景である。調子に乗って「パラダイス銀河」を歌いながら歩く。パラ銀の歌詞に出てくる「しゃかりきコロンブス」って何なんだろう。とか話してた。
そんな余裕は終わることのないサイクリングロードに差し掛かる頃には亡くなっていて、すっかりやつれていた。正直ここがしんどかった。途中自販機もなく飲み物が買えないのだ。(あっても売り切れ)
「黒髪の乙女」の姿のまま馬場に戻ると決意し、仮装のまま歩き続けてた私もここで太ももに擦れて痛かったパニエを捨てた。それだけでも多少は楽になった。
そんなサイクリングロードがあけてやっと一息つけると思ったら、長い長い、と噂に聞いてた新青梅街道が始まる。好きなミュージカルのサントラを流しながら、ひたすら歩いた。脳内で作品が上演し終わった頃にはだいぶ進んでいた。しかし、そこからがきつい。KANと大事MANブラザーズと槇原敬之に助けられ、みんなより遅れて休憩所についた頃には先頭集団がもう出発していた。私はそのまま出発した。

 

6区
知ってる地名なのに遠い。あとすこしのもどかしさが歯がゆい。5区の終わりに休憩を取らないことが祟り、足は重く、ほとんど進めなくなってしまった。困っているところに、休憩所で念入りに休憩をしてきて追い上げてきた、ハズレ祭りの先輩たちに拾って貰った。

もう潰れてしまいそうだったので、神様かと思った。ラストスパートはみんなで歩くしかない。それが1番力が出る方法だ。
知ってる道に出て、馬場歩きの道になり、校歌を歌いはじめる。そうだ、これがやりたかったんだ。サークルに入ってなくても、素敵な出会いに恵まれてこんなことが出来ている幸せを噛み締めた。早稲田に来てよかった、100ハイに出てよかった、心から思った。受験生の頃の私に、早稲田に受かって100ハイに出てるよ、と胸を張って言いたい。

ゴールしたときのことはよく覚えてない。

ただ、待ってた友達がたくさん、たくさん褒めてくれた。抱き合って、私がゴールしたことを心から喜んでくれた。そんな友人がいることが何より嬉しかった。

 

 

しかし、私の100ハイはここで終わらないのである。出迎えをしてくれた友人とそのまま馬場歩きをし、ラーメンを食べ(胃が少し受け付けなかったが)、ムーンウォークにて、しっかり偽電気ブランを飲んで、乙女の長い夜は幕を閉じたのである。

 

ダラダラと長いこと書いてしまったが何が言いたいかというと、体力の無い人でも、意外といけるよという話である。早稲田に入った精神力があればなんてことはない。「縛り」を課すプレイヤーがある中で申し訳ないが、体力に自信がないなら、靴やサポーターなどを十分に用意し、何よりくじけない心を持っていれば、大丈夫。(もちろん楽ではなかったけど)よっぽど出なくて後悔するほうが辛い。100ハイに出たいという気持ちがあるなら必ず完歩できると思う。それが早稲田生だ。だからこそ、目の前にあるチャンスは逃さず、今こそ100キロハイクに挑戦してほしいと思う。私は、心から、出て良かったと思う。

 

 

 

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想いのこもった体験記、ありがとうございまました!

 

100ハイまで、あと51日‼️

ひゃくはいたいけんき〜第9回目〜

 

 

こんばんは!

 

さて、今回体験記を書いてくれたのは、、⁉︎⁉︎

 

早慶戦支援会・鵬志会の中村一

 

学生注目!!私誠に僭越ながら自己紹介させていただきます。徳島県は県立脇町高等学校出身!現在早稲田大学政治経済学部政治学科1年、並びに第55回本庄〜早稲田100キロハイクにおきましては華の歩行スタッフを務めさせていただきました、姓を中村、名を一善と申します。以後お見知り置きを!!

さてまず中高運動部経験なし、かつ体重約100キログラム(諸説あり)、さらに徳島のド田舎出身で1キロですら歩く習慣がなかった僕がなぜ100ハイに参加したのかということですが、1年生のうちに100ハイを歩いておかないとサークル内での立場がなくなると先輩に脅されたからです。(笑)
もちろんこれは冗談であることが後になって判明するのですが、上京してまだ1ヶ月の純粋な少年だった僕はこの言葉を真に受けて100ハイに参加することを決めました。
とはいえ100キロを歩くために何をすればいいかわからず、先輩から勧められた5本指ソックスとA○Cマートの店員さんがオススメしてくれた歩きやすい靴を前日になって揃えただけで100ハイ当日を迎えました。(この靴は今でも愛用しているほどいい靴です。AB○マートの店員さんありがとうございました!!)

一区はサークルの同期と歩いたり、一般参加者の方の仮装を楽しんだりする余裕があり、100ハイ恐るるに足らずという感じでした。(余談ですが、個人的にはわせしょーの赤本コスプレとわせ弁内定の鳩コスプレが面白かったです。)100ハイの本当の恐ろしさを思い知ったのはまさに「変調の2区」です。1区の倍以上の距離、歩いても歩いても休憩所にたどり着かず、足の疲労が溜まっていくばかり。足が棒になるとはこういうことなのか。同期だけではなく、一般参加者の方々にもどんどん置いていかれ、気がつけば最後尾近くに。なぜ僕は早稲田に入ってまでこんな辛いことをしているのか。ちなみにこの時は本気で前述の先輩に対して怒りを感じていました。(笑)2区の休憩所に着いたら絶対リタイアしようと思っていましたが、「後少しだから頑張れ」と声をかけながら足をほぐしてくれる一般スタッフの先輩にリタイアしたいなんて言い出すことができるはずもなく、そのまま3区に突入することになりました。
3区はナイトハイクの為、数人の同期と一緒に歩くことになったのですが、お互い口をきくことができないぐらい疲労困憊しており、数歩歩いては座って休憩するの繰り返しでした。結局1日目のゴール、3区の休憩所に着いたのは午前3時で、2時間ぐらいしか寝られませんでした。
しかし横になれたのがよかったのか、2日目のスタートは割と早く4区の休憩所、とこキャンに着くことができました。ちなみに既に50キロ以上歩いているはずなのに、なんかシャトルランや馬跳びしている連中がいましたが、彼らは僕とは生物学的に別の生物なのでしょうか?
さて次は2日目の難関「花の5区」です。前半は多摩湖を周回するサイクリングロードを歩くのですが、周辺にコンビニがなく、また一万円ピン札しか持っていなかった僕は自販機を使うこともできず、脱水症状になりかけました。結局途中の公園の水飲み場で給水できたので事なきことを得たのですが、この時の水以上に美味しいものはなかったです。(笑)後半はひたすら景色の変わらない新青梅街道です。ひたすら直線かつ平坦な道なので歩きやすかったですが、いかんせん距離が長い。お昼ごろから新青梅街道を歩き始めたのに、5区の休憩所早稲田大学高等学院に着いたのは夕方過ぎ。学院に着けば早稲田までもうちょっとという気持ちで頑張って新青梅街道を一度も立ち止まらず歩き続け、学院1km手前ぐらいからずっと泣きながら歩いていました。ここまでのキツかった道のりを振り返り、やっとこの地獄の100ハイが終わるのか、ここまで支えてくれた先輩方、同期のことを思うと涙が止まりませんでした。
さて学院で少し休憩し、早稲田に向かう最後の区間、6区へ歩き出していった僕ですが、まだこの時は知る由もありませんでした。6区はおまけ程度なんかではなく、13駅分の距離があることを。そんなことを東京の地理に疎い田舎者の僕が知るはずもなく、閉会式に間に合わせるために最後の力を振り絞って早歩きで行きました。当然、すぐには新宿区の看板は出てこず、結局中野区の途中でガス欠をおこし、足の痛みは限界を迎えました。それでも何とか疲れた体に鞭を打ち、紺碧・校歌・栄光をローテーションで歌いながら歩き続けました。完全に日が暮れ、ちょうど閉会式が始まった時間ぐらいに馬場のロータリーに着いた記憶があります。実は記憶があるのがロータリーまでで次に記憶があるのがゴールなので馬場歩きの記憶が全くありません。(笑)気がついたら先輩に抱えられてゴールしていました。ゴールした僕が一番先に向かったのは大隈銅像です。大隈先生に一礼した後、「帰ってきました!」と報告したのを今でも覚えています。その後講堂前に集まっていたサークルのメンバーの方へ飛び込んでいき、お互いの健闘、そして無事帰ってきたことを喜び合って抱き合いました。この時は足の痛みも忘れるほど嬉しかったです。全員が帰ってきた後、みんなでわせ弁のナスカラを食べました。100km歩ききった後の鳩の唐揚げめちゃくちゃ美味しかったです。(笑)そして最後はスタッフ全員で紺碧・校歌を歌いました。この時が僕にとって一番ガン極まった瞬間でした。ちなみに翌日の授業はスッキリ全切りしました。(笑)

最後にこの場をお借りして伝えたいのは一般参加者の方への感謝です。僕はほとんどの区間を一人で歩いていたので寂しかったですが、所沢市議の方とお話しできたり、デーモン閣下コスプレの方からよくわからないあだ名で呼ばれたりと様々な形で一般参加者との交流があり、ただ友達と歩くだけより100ハイを楽しめたのではないかと思っています。また皆さんがかけてくださった「お疲れ様です!」「頑張りましょう!」という励ましによって歩みを前に進める元気を得ることができました。本当にありがとうございました。来年出られる方は学ランを着て歩いている人間がいれば、それは僕の同期or後輩なのでぜひ優しい言葉をかけてやってください。よろしくお願いします。

こんな僕でも100km歩けました。「なんで、私が100ハイに!?」そういう気持ちで出るかどうか迷っている人もいるかもしれません。でもゴールしたときの美しい大隈講堂、最後に歌った紺碧・校歌など忘れられない思い出がたくさんできました。僕も当日はスタッフ車の中から皆さんを煽り...応援します。(笑)その一歩を踏み出しましょう!!

拙い文章でしたが、最後まで読んでいただきありがとうございました!!

 

 

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100ハイまで、あと○○日、、‼︎‼︎

ひゃくはいたいけんき〜だいはちかいめ〜

 

 

こんばんは!!

 

さて、今回体験記を書いてくれたのは、、⁉︎⁉︎

 

 

ひゃくはい体験記
早稲田大学3年
武田頼人

(4200文字と他の人の4倍ほどの長さですが、飽きずに読んでくれたら嬉しいです。)

 私が早稲田大学に入って得た輝かしい思い出や将来他人に自慢したくなるような経験は、二十指に余る。その中でも、昨年初めて参加した「本庄~早稲田100キロハイク」は、今でも鮮やかな彩りをもって強く私の脳裏に焼き付いている出来事である。この体験記には、そんな私の経験を記し、あわよくば読者を「100ハイに出よう」という愚かな結論に導かせるという目的がある。以下に綴る駄文が、読んでくださった方々にとって100ハイに参加するモチベーションの小さな一助となることを願ってやまない。

 私にとっての100ハイは前日から始まっていた。サークルの友人の家に泊まり、充分な睡眠を取ってから本庄に向かおうと思っていた私は、100ハイの準備をすべて済ませ、道中コスプレに使ういやらしいメイド服を購入し友人宅に到着した。
 友人宅に着くと、実際にメイド服を着てみたり100ハイに対する不安を吐露してみたりだとなんやかんやしてしまい、あっという間に夜が更けてしまった。やばい、早く寝なきゃと焦る友人を尻目に、精神年齢が低い私のテンションは上がる一方だった。私はいきなり「レンジでチンするタイプのポップコーンを食べたい」と言い出し、友人宅のレンジで勝手にポップコーンを作った。これが意外においしくて、友人も普通に食べていたのだから人間なんてちょろいもんである。その後は、精神昂揚会に所属する韓国人の友人に電話をかけてみたりで、2時間ほどしか寝れなかったと記憶している。もちろん、翌朝目が覚めると、数時間前の自分をぶん殴ってやりたいという気持ちに駆られた。
 スタート地点の本庄市役所では、稲門会ののぼり旗の多さや「歓迎 本庄~早稲田100キロハイク」という看板をみて圧倒された。こんなにも愛されている行事なのか、意地でも完歩してやる。そんな良い気持ちにはなれたのだが、一方で本庄・早稲田間の距離と、それをすべて己の脚で歩くということはすっかり頭から飛んでしまったようだ。そんな気持ちは、開会式で室田実行委員長が発した、第55回のテーマでもある「天上れぇ!!!」の一言でピークに達した。私は、この先の苦難を見ず、ルンルンの気持ちで歩みを進めることになった。
 正直、1区はかなり余裕だった。ネタで買ったメイド服ではあったが、通気性が抜群なことに加え、胸元が大きくあいているためタオルや飲み物のペットボトルを入れることができる。しかもそれによっていい感じに巨乳が演出される。まさに一石二鳥だった。
 苦しかったのは2区からのすべてだ。正確な距離は覚えてないが2区はとにかく長い。ここらでみんな分散し始め、私は同じサークルの友人と三人だけで歩くことになった。このうちの一人とは2区内で早々にはぐれ、もう一人の友人とはともに大隈講堂まで歩き続けることとなる。
 長い長い2区。しかも周りにはなにもない。何度も何度も腕時計を確認した。しかし長針は遅々として、短針にいたっては持ち主をあざ笑っているかのように進んでいる気配を見せない。なんて性格の悪い時計だと思った。いよいよ疲労感を認めるようになった2区の途中、私はふと、オレンジジュースに含まれるクエン酸は疲労を回復する効果がある。スポーツ後はオレンジジュースを飲めばいい。という話を思い出した。これを友人に教え、さっそく道中にあったコンビニでオレンジジュースを購入し、友人と二人で飲みあう。オレンジジュースの効果は、あまりにも大きかった。2区ですでに棒のようになっていた私の脚は、音楽フェスでステージからステージに移動するかの如く、スペースマウンテンのファストパスを取りに行くかの如く、軽やかだった。友人にも同じ効果が現れたようで、他の参加者を抜かすたびに「俺らはオレンジジュース飲んでるんだからなぁ!?」と歩みを進めていった。しかしここには、コンビニの駐車場で飲んだロキソニンの効果も少しは関係していたのかもしれない。
 オレンジジュースのおかげもあり、その後は先頭集団少し後ろあたりを常にキープしていた。そのため、私と友人はかなり早く3区の休憩所に着き、前日より2,3倍長い時間を睡眠に充てることができた。
 起床の号令は馬鹿みたいにうるさく、さすがに殺意が湧かないでもなかったが、多少精神的な余裕を持ったまま4区に臨むこととなった。そのうえ4区は短い。晴天ではあるがさわやかなのかはよくわからない朝日の下、4区休憩所である所沢キャンパスを目指した。
 4区の途中、私と友人は松屋の看板を見つけ、興奮した。私たちは昂揚会に所属する韓国人の友人の家によく泊まるのだが、そこでオールをした翌朝は松屋に行くという不文律があった。まさかこんなところで松屋が食えるとは、鳥肌が立った。この松屋は100ハイのコースから少し外れたところにあったのだが、私は、ネギ塩豚カルビ丼を食べると断ずるにいささかの躊躇も持たなかった。ここの少し前にあったすき家と違いこちらはちゃんと開店しており、松屋に一生の忠誠を誓った上で世界一美味いネギ塩豚カルビ丼を食べていると、店員のおばちゃんに声をかけられた。メイド服を着て怪しげなゼッケンをつけた汗だくの大学生が入ってきたのだから、おばちゃんの行動は正しいだろう。たしか、今日はなにかイベントでもあるの?的な感じだったと思う。ひとしきり100ハイの説明をすると、おばちゃんから「頑張ってね!」と一言いただいた。3区まででも地域住民の方々から多くの声援はいただいていたのだが、このおばちゃんの言葉は重みが違った。私たちはもう一度松屋に忠誠を誓い退店した。
 所沢キャンパスの休憩所では、かの有名な体育祭がある。体育祭があること自体本当に頭がおかしいと思うのだが、私はこの体育祭に参加するつもりでいた。とはいっても、体を動かしたいわけではない。「100ハイ参加したぜ~イェ~イ!」とか言っておきながら、其の実、体育祭には参加してないなんてダサい輩には絶対になりたくなかったのだ。私は所沢キャンパスに着くと、少し怖気づきながらも結局は体育祭に応募した。
 シャトルランをするという噂を聞いていたが、どうやらその前に一回戦があるらしい。二人組になって片方がうずくまり、もう片方はその上をピョンピョンと跳ねるシンプルなものだった。よし、とりあえず参加したという事実は残る。適当に転ぶなりなんなりして一回戦で敗退しよう。私はこのように企てた。しかし、整列して競技が始まる直前に、私たちが一番前の列に配置されていることに気づいた。しまった、これでは周りの動向に合わせて敗退することができない。でもまぁもともと体力は少ない方だし全力でやって敗退してくれることを願うしかない。このようなことを考えている間に競技が始まって、終わった。結果私はシャトルランを走ることになった。
 シャトルランは一番に脱落したため、地獄から解放されたのは比較的早かった。脱落した原因は、私だけ靴下を履いたまま走っており、コケまくっていたことだと思う。ただ、靴下を履いて出場したのには明確な理由がある。マメがつぶれた痛みで靴下を脱ぐことができなかった、という嘘の言い訳を作り、5区6区への体力を温存するためだった。たぶん、本気でやっていればもう少し走れた。決勝まではいけなくとも、いい線にいくことはできたと思う。たぶん。
 体力を温存したことと、この日も飲んでいたオレンジジュースの甲斐もあって、5区でもつぶれることなく何とか歩くことができた。ただ、果てしなく続く新青梅街道と、お互い死ぬほど疲れているはずなのに元気に話しかけてくる友人には何回かキレた覚えがある。いやこんときはマジでごめん。
 最後の休憩所である学院はきれいな建物だった。参加者が収容された体育館の中で、ほぼ全員が満身創痍になってうめき声をあげながら寝っ転がっている景色も、かなり美しさを感じた。そして6区出発の学注は、本当に心が震えた。いよいよ最後だ。しかも6区はそう長くない。余ったロキソニンを休憩所で会った友人に配り、自分もこれをキめ、講堂にむかって歩いた。横浜に住んでいる私は、標識の練馬区とか杉並区をみても、イマイチ早稲田までの距離感がわからない。初めて感動したのは、中野駅という案内板を認めてからだった。さすがにこれには驚き、もう少しだ、いける。と思った。このあたりからは、少しずつ走って、ある程度疲れたら歩くということを繰り返していた。前を歩いていた友人を走って追い越し、オレンジジュースに感謝をした。
 その繰り返しも何回したことだろうか、何も考えていなかったある瞬間に、見覚えのある景色が飛び込んできた。目の前には馬場のロータリーがあった。私は声を上げることもできず、ただひたすらにこれを愛した。普段ゲロまみれで、飲みつぶれた早大生や、一女を口説く三男がそこら中にいて、その横をでかいネズミが走り回っているような馬場のロータリーが、家よりも帰って来たかった場所に思えた。またおそらく、この時点の私にとって馬場のロータリーは、まぎれもなくそんな場所だったのだろう。そう感じた瞬間に、この100キロの疲れはきれいさっぱり吹き飛んだ。ロータリーが私の疲れと負の感情を吸い取ってくれたのだ。だからあそこは一年中あんなに汚いんだろう。
 そうして私と友人は走り出した。それも短距離走の走り方で。前に出すのも億劫だった脚を、素早くたたみ地面に向かって突き立て、その反動を借りまた講堂への推進力とした。馬場歩きの途中にあるお店の店主さんや住民の方々は、心地よい声援を浴びせてくれた。5分ほどで西門前の交差点に着き、先頭集団に合流することができた。もう日は暮れているというのに、気づけばみな紺碧の空を合唱している。早稲田精神という言葉の指すものがここにあった。私たちは、南門通りにさしかかったあたりでまた走り出し、早稲田大学に着いた。そこには昂揚会に所属する韓国人の友人がいた。たしか、自然と涙が出てきた。その韓国人の友人と、一緒に完歩してくれた友人との三人で『深夜高速』を聴き、生きててよかった、という歌詞に全身が満たされた。
 先頭集団で一緒にゴールした人たちの中には、5区休憩所でロキソニンを分けた友人がいた。聞くと彼は、5区までの時点で疲労困憊だったのにも関わらず、ロキソニンを飲んで疲労が取れ、6区はほぼずっと走っていたのだという。私は彼にひとつだけ質問を投げかけた。「オレンジジュース飲まなくてそれなの?」

 

 

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100ハイまで、あと○○日、、‼︎‼︎

 

ひゃくはいたいけんき〜だいななかいめ〜

 

 

こんにちは!

 

今回体験記を書いてくれたのは、、⁉︎⁉︎

 

 

 

こんにちは、スパイダーマン2世です。

早大ピアノの会に所属している僕ですが第54回の100ハイではるろうに剣心、第55回では黒のスパイダーマンの仮装をして先頭集団にて完歩したのでその感想を述べたいと思います。

同じく早大ピアノの会に所属している先代のスパイダーマンですが100ハイにおいて自分にある縛りを課してました。「俺の体力だったらただ100km歩くくらいなら簡単にできる。俺は100ハイの中で己と戦い、限界に挑戦してより高みを目指したい。」そう考えた先代は赤のスパイダーマンのスーツを身に纏い、決してマスクを脱がず、常に先頭集団で熾烈な1位争いに参加するという縛りを設けました。そして第54回の100ハイで僕はその姿を見て感動し、来年は自分も先代と同じ縛りで100kmを完歩しようと決意しました。

そんなわけで2年連続100ハイに参加した僕ですが赤色だと先代と被ってしまいややこしくなるので、黒色のものをネットで買いました。これが最大の失敗でした、とにかく暑いです。5月といえど2日間とも最高気温30度近い猛暑なので、黒色の全身タイツは熱を吸収して中は想像を絶する暑さでした。更にマスクの中は汗で蒸れて頭が非常に痒いです。そして日が暮れてきてやっと気温が下がってきて楽になると思いきや3区のナイトハイクでは視界が悪くて前が全然見えません。前に人影がぼんやりと見えるのでその後になんとかついていくが、途中にあるポールなどの障害物に何度もぶつかり怪我をするというとても過酷でした。更に3区の休憩所では頭が痒くてなかなか寝付けません。僕は寝袋の中でこっそりマスクを外してしまおうかなって思いました。しかしここで脱いだらスパイダーマンとしての誇りを失ってしまう。この痒みに耐える事も全部含めて自分に対しての試練であり、それを乗り越えなければ本当の意味で100km歩いたと言えないのではないかと考え脱ぐことを思いとどまりました。

そしてなんとか2日目も無事乗り切り100km歩ききりました。普段からピアノで身体を鍛えているせいか筋肉痛も殆どなく疲労感はそれほどありませんでした。寧ろ辛かったのは頭部の蒸れです、痒くて痒くてたまりませんでした。なので早稲田に着いてマスクを脱いだ時の開放感は凄まじいものでした。視界がクリアになり、僕はめいいっぱい頭部を掻き毟る事が出来てとても幸せな瞬間でした。100ハイをやってよかったぁ!と心の底から思いました。100ハイは他では決してできない最高の感動が味わえます。今年もスパイダーマンで出る予定ですので皆さんも是非参加して一緒に100km完歩しましょう!

 

 

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100ハイまで、あと○○日、、‼︎‼︎

 

ひゃくはいたいけんき〜だいろっかいめ〜

 

おはようございます!!

 

今回体験記を書いてくれたのは、、⁉︎

 

 

 

 

こんにちは!文化構想学部2年岡村祐香でっす!初めての100ハイについての体験記書いたよ!

去年はバイトの入社式とカブり出場することができなかったのを覚えちょる、、でも去年出場していた子達の話を聞いたり後遺症を見たりして、私は出ない。ってめっちゃ思ってた、、

だから今年も応募しなかった!そしたらタカシがWISH枠応募できなかったけどチャレンジしたいという熱い気持ちで誘ってくれて、、本当に悩んだんだけど渋々おっけいしちゃったんだよなあ、メンバーの過半数が初対面!いや普通だったら断る条件やったんやろうなあ、

1日目はみんなとゲームしながら、ミスチルに助けられたり一人でディズニーミュージカルし始めたり、いろんな工夫で自分を助けてたってか、みんなを私のパワーで引っ張りたいくらいの気持ちで挑んでた!1日目はほぼ最後尾集団にいたから仮眠所に着いいたのも予定の2時間遅れ。午前2時過ぎ二時半には寝て5時起きで出発ぴええ。

二日目の2区目。午前中。昔長距離の練習中に痛めてた左の長径靭帯が久しぶりにうずきだして、うおおお久々だああって思って変な工夫しながら歩いてたら、カバーしてた分、違うところに激痛が走り出して。そこからは自分の戦いが始まった。目標は最後まで笑顔を大切にして、みんなのさりげない支えになって全員で完歩したいって思ってたのもそっちのけにして自分のペースで走り出したり、泣きわめいて、めっちゃぐちぐち言って、!1日前に初めて会ったメンバーに自分の弱い部分全部さらけ出して走ってた六区のことを思い出すと本当に恥ずかしすぎる。笑

でも走ったおかげで時間内に全員で完歩できたね!!足が痛過ぎて!ゴール後の顔はスーパーブス。スーパーブスになる理由を探りに翌日外科に行ったところなるほど 腱が炎症おこしているのか!と!いうことで初めて歩行困難として、杖をつく人に!

100ハイの翌々日、学校に行って授業を受けて帰るといういつも通りの日を過ごしたけど。階段。坂。電車。ドア。両手を使わなくちゃいけない時。たくさんの障害に直面して。いろんなこと考えさせられた。

そんな時、荷物を持ってもらえるだけで、ドアを少し長く開けておいてくれるだけで、席を譲ってもらえるだけで、本当に心の底から助かったあああありがとうございます😭😭😭ってなった。

この2日間の楽しかったこと苦しかったことがどう直接的に何に影響するかはわからないけど、本当に精神も筋肉も鍛えられたのは確かだし、その後の不便な日常からも感じたことは、これから普段でも、体が不自由な人にどう接するかの勉強になった気がする、

キチガイ大学のキチガイイベントで、結局何か熱いものを感じて、人の支えの強さを感じて何かクセになりそうでとても怖いよね、でも絶対出たくない本当に。出たら今回以上にバカって言われて仕方ない!いやごめんなさい絶対出たくない。思い出美化させないよ。私は!!!

 

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100ハイまで、あと○○日、、‼︎ 

ひゃくはいたいけんき〜だいごかいめ〜

 

おはようございます!

 

今回体験記を書いてくれたのは、、、⁉︎

 

早稲田大学英字新聞会

若菜大聖

 

「100キロっていっても所詮は歩きだろ」
正直参加するまではこう思っていた。実際半数は女子が参加してるわけだし体は頑丈な方だったからさほど騒ぐほどでもないと思っていた。普通に歩いても面白くないよなぁ。そこで友だちを連れて木材屋に行き、木の板と丸太を購入。紐で繋ぎ合わせ姫を担ぐための籠を作った。後は下駄と麦わら帽子と和服を揃えれば江戸時代の参勤交代なるものができた。開会式の会場に向かう途中「それ乗せてください!」と言って記念撮影をお願いしてくる女子大生もおり、8000円かけた価値があったとひしひし感じていた。しかし、この時僕は大きな間違いを犯していた。この格好で100キロ歩くということを全く想定していなかったのだ。とりあえず一区は難なくクリア。だか疲労のペースがやはり思ったより速くなっていた。悪い予感は的中し一番の難所2区では最後尾まで転落してしまう。とりあえずこの重いの、籠を廃棄しないことには始まらない。担いでいる箇所が内出血を起こし少しずつ位置をずらしていくうちに使えるポジショニングがなくなってしまった。さらに下駄が二区の後半で故障しドンキホーテで買った880円のスニーカーに履き替える。これがまた下駄よりもタチが悪い。先端が窮屈な故、指が重なり合いわずか2時間で爪を4本紛失。爪が剥がれたらもう、なんか本当に萎える。「なんでこんな安っぽいの持ってきたんだ、880円て...」押し寄せる後悔の念。そしてアクシデントはまだ続く。二区の終わりの休憩所でここまで一緒に籠を担いできた盟友が腰の違和感を訴え離脱。本当に申し訳なさがこみ上げてきた。ここで100ハイのベテラン鬼頭氏(一浪)に入っていただきなんとか参勤交代スタイルは貫けることになった。三区からは途中ではぐれていたサークルの幹事長(二浪)と合流し、合わせて四浪。いけるかもしれない。
三区は正直意識が朦朧としており、道で小便した記憶しかない。疲れている時に出る小便は黄色い。これが激戦を物語っていた。
夜中の3時に到着しやっと休憩。しかし出発まで後2時間しかない。朝起きたら疲労が回復していることを願いつつ睡眠とも言えない睡眠をとった。起床。絶望の起床。「またあれを一日やるのか...ギャグだろ流石に」
四区の休憩所では体育会という狂気に満ちたイベントが開催されていた。予選がシャトルラン。戦う意味を見出せなかった。
二区の次に難所と言われる五区の途中、自動販売機で買った飲み物もゆうに20本は超えた。この二日間に限って気温が30度を超えており救急車が通っていくのを何回も見た。次々と倒れていく同志たち。こういう苦しい場面でこそ人の本性が出る。僕の目の前でも女性が倒れた。申し訳ないが屍は超えていく。それが僕という人間だ。
100キロハイクの巧妙なところはしっかりと女子の参加者がいるところだ。これ冷静に考えて他の大学ではありえない。炎天下で泣きながら歩く女。足にテーピングをぐるぐるに巻きつけて歩く女。ハイヒールで歩く女さえいた。そして必然的に男が絶対にリタイアできない境遇に追い込まれる。何という悪魔的システム。男がリタイアしようものなら孫の代まで笑い物だ。

ロキソニンも効き始め、はがれた4枚の爪の箇所の痛みが抑えられてきた。長かった二日間も残り一区で終止符が打たれる。人間不思議なもので終わりが見えると限界を超えた力を発揮する。僕たちは走り出した。別に今まで手を抜いていたわけではない。神から新たなキャパを授かるのだ。足が軽い、息切れもしない、汗も出ない(危ない)

高田馬場から早稲田への一本道。全く面識のない人同士で励まし合いゴールを目指す。素晴らしい大学に入ったなと。受験期、慶応のSFCに行きたいなど世迷い言を並べていた自分を恥ずかしく思った。ゴールで見上げた大隈講堂は受験期とは少し違って見えた。これからは帰ってくる場所。仲間と抱き合い、みんなで肩を組み紺碧の空を歌う。

やっぱり無駄が一番楽しい。孫の代まで自慢しよう。

 

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100ハイまで、あと○○日、、‼︎